近世  修験の山の歴史が閉じられた
英彦山は天忍穂耳を祀るほか一山を統括する座主も皇統を引いており、
幕末には 尊皇攘夷への機運が高まり

幕末動乱で
多くの山伏が命を落とし

廃仏毀釈で
明治政府は修験宗を禁じた為
多くの山伏は檀家などを頼って離山し、僧侶、神職として新たな道を歩み

座主教有公は僧籍を返上し、英彦山神社代宮司となり

修験の山の歴史を閉じられ

英彦山信仰は終わりを告げた。