内野宿地図







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長崎街道班現地調査


















内野宿
1.構口
構口は宿場の出入を固める役目を担っていた。西構口は内野宿の町並み(東西600メートル)の山家宿側にあり 東構口は内野宿の町並み(東西600メートル)の飯塚宿側にある

2.郡屋

郡内の村役人の集会所で、大名などの通行の人馬の割り当てや、年貢の調整・普請の打ち合わせなど相談した。


3.御茶屋跡
黒田藩主の別館で、御茶屋の図面は永らく不明であったが、たまたま昭和41年2月に小倉屋で発見され、文化8年(1815年)6月内野御茶屋絵図として記録が残っている


4.庄屋跡

大庄屋山内本家(酒屋)跡。


5.えびす碑

五穀豊穣・商売繁盛・家内安全を祈願し元禄13年建立(寛永6年再建)


6.長崎屋・小倉屋
長崎屋は、鍋島藩主の定宿で浪花講の定宿にもなっており、幕末には代官の出張所になっていた。現在では地元食材を使った郷土料理(予約3日前)も提供しており休憩所にもなっている。
小倉屋は、両替商(質屋)を営んでいた。


7.恵比寿屋・大黒屋

共に一般の旅人も宿泊できた旅籠屋(旅館)

8.首なし地蔵
難所の冷水峠越は治安も悪く、山賊や盗賊も往来し、仇討を題材にした戒め「口は災いの元」の民話。近くには石橋があり、大根地山からの清流が旅人の喉を潤した名水があり、冷水の語源とも言われている。


9.石畳

冷水峠の内野側に敷かれた石畳が実在し、戦後米軍が大根地山に通信施設を建設する際、山家側の石畳を取り除く。石畳の途中には鳥居の跡も有る。

10.郡境石

冷水峠に郡境の、従是東穂波郡それと従是西御笠郡の日本の石碑が建っており、険しい山道を旅人たちが一息吐いた場所。


A.大イチョウ

樹齢400年福岡県天然記念物に指定。お薬師様の御堂のとなりにあり。

B.内野太郎左衛門の墓

宗賢寺(曹洞宗)内の墓所にあり寛永16年(1639)死亡。